「健康なくして生産なし」

北関東ブロック共同企画<産業医の活動>…栃木

本田技研工業株式会社 栃木製作所
健康管理センター所長 産業医 小林 淳
(さんぽいばらき 第28号/2007年3月発行)

私は約16年間、呼吸器内科医を専門に大学勤務医として過ごしてきた経験を生かし、HONDAの専属産業医の道を選んだ。この会社を好きになったきっかけは「衛生面での先進性」であった。アルバイトで週1回の真岡工場の一般診療を担当していた10年以上前、私は工場内の随所のトイレに手洗い用自動水洗と便座の洗浄機が設置されていることに気が付いた。長く痔を患っていた私は、当時まだ高価な洗浄機を自宅に設置して間もなかったため、驚きかつ安心して勤務できたことを覚えている。病院では院内感染対策委員会で、「院内水洗は手の触れないセンサー式で…」と議論している頃、すでに社内の手洗いは自動化されていたのである。
産業医の責務は作業環境管理・作業管理を通して健康な従業員をあらゆる職業性疾病から守ることだけでなく、肥満・高脂血症・癌などの生活習慣病のリスクを自覚させることであると思う。そして健康診断の事後措置は就業の可否と適性措置…Stop! ここで私の6年間の産業保健活動がひとつのキーワードに助けられていたことに気が付く。それは弊社の創業者、本田宗一郎が残した「人間尊重」という言葉である。慢性疾患や障害を抱えた従業員に対して、医師として適切に助言し、就業制限や適性は位置に関して本人・会社と調整をすることは産業医として重要な役割であるが、私は実はあまり苦労することがない。管理監督者には創業者の言葉がすっかり沁み込んでいるのか、要配慮者に対する対応は産業医が恐縮する程見事であり、彼らのハートは医療従事者のそれと限りなく重なるように感じた。これは入社間もない新米産業医の驚きであり、又その後「誇り」となった。
また宗一郎は「安全なくして生産なし」の名言を残した。産業医の役割について暗中模索の2年目の頃、私はこの言葉を借りて「健康なくして生産なし」とのスローガンを旗揚げし、さらに「健康なくして人生台無し」と90度捻った1行を追加した。この自分なりの基本姿勢は安全衛生委員会や講演会などで繰り返し語り、私の産業医活動はようやく軌道に乗り始めた。
呼吸器内科医として喫煙対策はライフワークと決めていたので、ニコレットやニコチンパッチを用いた禁煙指導には自然と熱が入った。しかし禁煙を考えていない人を説得することは困難を極めるため、まずはムード作りが肝要と判断した。具体的にはパンチの効いたポスターや講演、社内メール「健康管理センター便り」などで従業員の関心を引くように工夫した。また35才以上の従業員に対して定期健康診断の結果を一人一人医師が面接しながら説明することにしていたので、喫煙に関連した自覚症状やレントゲンでの初期兆候などは詳しく説明し、その後の禁煙の決断は本人の意志に任せるような姿勢で臨んだ。
分煙対策も元をたどれば「人間尊重」と重なる取り組みである。安全衛生委員会の決定に従い食事時間の食堂はもちろん禁煙となっている。快適職場形成の意味からも討議の結果、会議室・事務室の完全禁煙化が2000年には達成された。また現場の休憩室の分煙化も「空間を完全に仕切る方法」で段階的に進み、2006年に達成した。かつて分煙手段としてテーブル型の濾過型簡易空気清浄機の設置が喫煙対策のように考えられていた時代があったが、空気清浄機ではたばこの煙の粉塵成分の一部を除去できても、有害なガス成分を周囲に拡散するため好ましくないことが、厚生労働省の分煙効果判定基準でも示されている。すでに購入した機器は密閉した喫煙室内の換気扇の下で用いれば、喫煙者の健康保持と壁の黄色かを防ぐために少しは役立つだろう。このような環境面での進歩と平行して、喫煙率は年々数ポイントずつ低下している。
運動不足の社員に対する対策は、安全衛生委員会の元でTHP委員会活動が

  1. 体力測定結果に産業医がアドバイスを手書きで添える
  2. トレーナーが職場に出向いて20~30名程度の小集団指導
  3. 要注意者には個別指導、という3段構えの独自の取り組みに変わって4年が経過した。と同時に、食堂運営委員会でメニューの低カロリー化・低脂肪化による肥満対策も論議されている。

また会社外での活動では専属産業医の集まりである「とちぎ産業医会」での工場見学・勉強会、そして県医師会と栃木産業保健総合支援センターとの共催の「産業医ケースカンファレンス研修会」など勉強する機会は多くなっている。これからも開かれた環境の中では情報収集に努めつつ、従業員の健康と生産活動を支えられる産業医を目指して頑張りたい。